みき演劇セミナー

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今までの三木ではあまり盛んでなかった、総合舞台芸術の象徴ともいえる演劇を、市民参加による形で平成8年にスタートしました。最初の2年間は県立ピッコロ劇団と共同で開催。その後、独自で三木ブランドを立ち上げるべく、平成15年には郷土を題材にした創作劇「二皇子の里」の台本完成を皮切りに「わがまちシリーズ」を継続。
"見つめ直そうふるさとを"テーマに今後も走り続けます。

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石垣設置 2017/03/09
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石垣を設置しました


大道具移動 2017/03/09
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大道具移動 2017/03/09
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あめんぼあかいなあいうえお 2017/03/06
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77回 あめんぼあかいなあいうえお

公演間近!

放 送 3月10日(金)22:30〜
再放送 3月17日(金)22:30〜

・・・お楽しみに・・・

エフエムみっきぃ 76.1MHz



豊地城跡 2017/03/05
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豊地城跡(といちじょう)

東条川左岸の段丘上に所在する平城で、東西約400m、南北約200mの城域を有している。東西北の三方を川によって区切られた天然の要害の地にあたり、南側には幅約11m、高さ約5mの土塁が現存している。かっての城域の中央北側部には、「城畑」と呼ばれる高台があり、その周囲には石積みの堀が存在した。この堀は、幅約3m、深さ約0.6mの規模で、堀内からは瓦、甕、一石五輪塔などが出土している。昭和55〜56年のほ場整備に伴う調査では、溝、柱穴、石敷、埋甕遺構なども確認されている。また、南西側に所在する八幡神社やみやま保育園付近にも堀跡が認められ、城域はさらに広がるものと想定される。
城主は、赤松氏の有力な家臣依藤氏で、享禄3年(1530)に別所村治と柳本賢治との大軍に攻められるもののこれを撃退している。後には、別所重棟の持ち城となり、三木合戦後は羽柴秀吉によって「城割り」が行われている。
(小野市ホームページより)


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