みき演劇セミナー
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今までの三木ではあまり盛んでなかった、総合舞台芸術の象徴ともいえる演劇を、市民参加による形で平成8年にスタートしました。最初の2年間は県立ピッコロ劇団と共同で開催。その後、独自で三木ブランドを立ち上げるべく、平成15年には郷土を題材にした創作劇「二皇子の里」の台本完成を皮切りに「わがまちシリーズ」を継続。
"見つめ直そうふるさとを"テーマに今後も走り続けます。
公演 2019/04/05
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3月17日公演より
三木高等女学校の校歌披露
※当時通われていた皆様による ※歌詞に細川、藤原惺窩先生の事を歌われている
三木高等女学校校歌
堀沢周安:作詞 田中銀之助:作曲
軍の塵を打ち払ひ 文の林に分入りて 聖の道の導せし 人こそ此処に生れしか 流れて清き細川の 水の心に従ひて 桃津の里の花陰を 辿るも楽し我等皆
命に代えて弓取の 名を惜しみける大丈夫が 守りし城跡占むる 学の庭に月清し 三木の松が枝色変えぬ 高き操に傚ひつつ 日本婦女の教草 摘みて進まん諸共に
兵庫県三木高等女学校の沿革
●大正13年4月 三樹尋常高等小学校に併設。三木町立実家高等女学校として創立 ●15日 入学式が三樹校の裁縫室で行われる。一年生56名、二年生24名。 ●16日 授業開始。 ●大正15年6月4日 四年生18名、東京方面へ修学旅行。 ●昭和2年3月16日 第1回卒業式挙行。卒業生20名を送り出す。上の丸に学校移転。 ●昭和3年4月1日 高等女学校に組織変更され、兵庫県三木高等女学校と称し、補習科が置かれる。 ●昭和5年4月1日 三木高等女学校が県営に移管される。県立高等女学校の始まり。 ●昭和7年7月2日 用水池決壊の水害。一般避難者及び避難小学校生徒のため。校舎を開放。 炊き出しを行う。
兵庫県三木高等女学校は、大正13年4月、三木町立実家高等女学校として創立されたのが始まりです。当時はまだ独立した校舎もなく、三樹尋常高等小学校の中に併設でしたが、15日に裁縫室で1年生56名、2年生24名の入学式が挙行され、ここに学校の歴史の第一歩が踏み出されたのでした。 昭和2年6月、難工事の末、ようやく三木城跡の地にま新しいピンク色の校舎が落成し、待ちあぐんだ生徒たちによる引越し作業は、実に賑やかであったといいます。翌年4月には、高等女学校に組織変更され、 三木町立高等女学校としてスタート。さらに同5年には、念願であった兵庫県への移管が叶ったのでした。 同7年7月2日の用水池決壊の水害のときには、一般避難者及び避難小学校生徒のため校舎を開放。 炊き出しを行いました。 また、同17年4月18日、太平洋戦争における戦局が行き詰まりを見せる中、三木でも空襲警報が発令され、生徒、教員とも不安な時間を過ごすこととなりました。 戦後間もなくの同20年10月9日、昨夜からの雨の影響で、美嚢川が氾濫。家屋の流出、死傷者が多数出るなど、甚大な被害が発生しました。学校では、多くの罹災者のために講堂を開放、炊出しや救護活動に当ったのでした。 その後、戦後の学制改革で兵庫県立三木高等学校と改称し、同41年に現在の場所に移転するまで 上の丸の地に青年たちの声がこだますることとなったのでした。
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公演 2019/04/05
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3月17日公演より
細川町にて第1回目に開催された「藤原惺窩祭」、 その前日から物語は始まります。
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あめんぼあかいなあいうえお 2019/03/25
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FMみっきぃ みき演劇セミナー情報番組 131回「あめんぼあかいなあいうえお」
公演を終えて・・・役者編 パート2
放 送 4月 5日(金)22:30〜 再放送4月12日(金)22:30〜
是非、お聴きください
・・・お楽しみに・・・
エフエムみっきぃ 76.1MHz
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あめんぼあかいなあいうえお 2019/03/25
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FMみっきぃ みき演劇セミナー情報番組 130回「あめんぼあかいなあいうえお」
公演を終えて・・・役者編 パート1
放 送 3月22日(金)22:30〜 再放送3月29日(金)22:30〜
是非、お聴きください
・・・お楽しみに・・・
エフエムみっきぃ 76.1MHz
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公演 2019/03/25
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みき演劇セミナー第二十三発「わがまちシリーズ第16弾」
三木出身の大学者 藤原惺窩物語
公演が終了しました
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