みき演劇セミナー

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今までの三木ではあまり盛んでなかった、総合舞台芸術の象徴ともいえる演劇を、市民参加による形で平成8年にスタートしました。最初の2年間は県立ピッコロ劇団と共同で開催。その後、独自で三木ブランドを立ち上げるべく、平成15年には郷土を題材にした創作劇「二皇子の里」の台本完成を皮切りに「わがまちシリーズ」を継続。
"見つめ直そうふるさとを"テーマに今後も走り続けます。

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みき演劇セミナー情報番組 2023/06/29
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FMみっきぃ
みき演劇セミナー情報番組
「あめんぼあかいなあいうえお」

放送:金曜日 22:30〜

・・・お楽しみに・・・
エフエムみっきぃ 76.1MHz


神戸新聞に掲載されました 2023/05/08
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団員募集記事

神戸新聞、5月8日三木のページに掲載されています


渡瀬好光伝 2023/05/06

 三木市には数多くの史跡や先人達の足跡があります。
今回は、吉川の戦国武将「渡瀬好光」の波瀾万丈の生涯を、
三木合戦から切腹して果てるまでのお芝居をお届けします。
 三木合戦の時、吉川の多く武将達は別所長治に味方し吉川
から三木城へ入っています。その時に渡瀬氏は御家存続を図
るため、兄「好光」は秀吉方に、弟「好勝」は別所方となっ
ています。合戦後「好光」は秀吉の家臣となり、鳥取城攻め、
高松城攻め、中国大返しの山崎の戦いと働きます。その後の時
期に、後に関白になる豊臣秀次の家臣団に入ります。若い秀次
のお目付け役として働きます。小田原城合戦でも働きが認め
られ、恩賞として遠州横須賀城三万石をもらっています。吉川
の小領主が城持ち大名になるのです。関白秀次の御傍で仕え
京都の聚楽第にも居を構え働きます。秀次に乱行の疑いが賭
けられた時、助命歎願を願い出た事により同罪とされ「好光」
は切腹させられます。最後まで主君に仕え戦国を懸命に駆け
た「渡瀬好光」の生涯を伝えます。秀次が切腹していなけれ
ば、「好光」は大大名になっていたでしょう。


募集活動 2023/05/06
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本日も三木「第九」合唱団と協力し募集チラシ配活動をしました。


募集活動 2023/04/30
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三木「第九」合唱団と協力し、募集チラシ配布活動をしております。


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